愛媛大学の歩み 第20回 −完 結 編−

 1973(昭和48)年9月、愛媛大学に医学部が設置された後、1976(昭和51)年には医学部附属病院が設置され、愛媛大学の組織は、ほぼ完成されました。
 その後の愛媛大学は、国の文教政策や地域のニーズに応じて、組織や学科の改組、拡充、大学院の設置等がなされていきます。
 昭和50年代は、18歳人口がほぼ160万人前後で横這いで推移する期間でもあり、全体的に安定した時期でした。一方で、1971(昭和46)年に出された中央教育審議会の答申を受け、さまざまな改革が検討されていました。
 愛媛大学においては、大学の基本的な組織はほぼ完成し、学科の新設や拡充がなされました。理学部においては1977(昭和52)年に地球科学科が、工学部においては1979(昭和54)年に資源化学科が、農学部においては1975(昭和50)年に園芸学科(昭和56年に園芸農学科と改称)と環境保全学科が設置されました。また、法文学部においては、1981(昭和56)年に出された中央教育審議会の答申(「生涯学習について」)に先駆けて、1979(昭和54)年法学科が昼間主コース・夜間主コースに改組され、社会人に大学教育の門戸を広げました。
 続いて1981(昭和56)年には経済学科(昼間主・夜間主)が設置され、1983(昭和58)年には文学科が同様に改組されました。大学院に関しては、1978(昭和53)年に理学研究科が、1979(昭和54)年に医学研究科が、1981(昭和56)年には法学研究科が設置されました。
 昭和60年から平成5年頃にかけては、18歳人口の急増とその後の急減という事態への対応、社会的需要に対応するための拡充が、高等教育計画の焦点となりました。また、近年急増している教育現場の荒廃などの諸問題に、文部省だけでなく政府全体として取り組むため、総理大臣の諮問機関として臨時教育審議会が設置されました。ここにおいて、高等教育の改革として、大学教育の充実・個性化、大学院の充実、大学設置基準の大綱化などがあげられました。このような政策を反映して、愛媛大学では次のような動きがありました。1989(平成元)年に教育学部に情報社会課程が、また1987(昭和62)年に工学部に情報工学科が設置され、情報化社会に対応した、より高度な教育がなされるようになりました。また1990(平成2)年から1991(平成3)年にかけては、主に工学部と農学部において、大幅な学科の統合・改組・改称などが行われました。大学院に関しては、1985(昭和60)年、香川大学、高知大学とともに、連合農学研究科がスタートしました。これは、1974(昭和49)年の大学設置審議会答申「大学院及び学位制度の改善について」が問題とした“大学院の弾力化と独自性の強化”のための措置として、大学院設置基準の一部改正によって認められた、博士課程のみの独立大学院で、全国で初めて、東京農工大学と愛媛大学に設置されたものでした。また1993(平成5)年には、教育学研究科も設置されました。
 また、臨時教育審議会の答申を受けて、1987(昭和62)年、文部大臣に勧告権をもつ恒常的な機関として、大学審議会が設置されました。この大学審議会の答申により、大学における教育研究の高度化、個性化などのための具体的方策の1つとして、1989(平成元)年大学院設置基準の大綱化が、1991(平成3)年大学設置基準の大綱化がなされました。これにより、愛媛大学においても教養部の廃止、各学部内における学科の改組などが行われ、大学の組織は大きく変化しました。また自己点検・自己評価システムが導入されるなど、現在大学は自らの手で改革することが要求されています。
 1999(平成11)年、愛媛大学は開学50周年を迎え、50年の歴史を綴った年史を発刊します。古い時代、過去の出来事を、懐古的に綴るのではなく、50年前は現在に繋がっているということを前提に、愛媛大学50年の歩みを検証し、これからの愛媛大学を考える上での、指針となるような年史作りを、目指していきたいと思います。(終)

参考文献:『学制百二十年史』(文部省)


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